住宅街に咲く、家という名の花束
東京都三鷹市の幹線道路沿いに突如姿を現す奇抜な建築物。
数え切れないほどの色と独特なフォルムで成り立つその建物は、芸術家であり、建築家でもあった荒川修作とそのパートナー、マドリン・ギンズが2005年に完成させた「三鷹天命反転住宅 イン・メモリー・オブ・ヘレン・ケラー」です。
「イン・メモリー・オブ・ヘレン・ケラー」というサブタイトル、「死なないために」というコンセプトはいったい何を意味しているのでしょうか?
建物の中を案内していただきました。
引きずり出される記憶とよみがえる身体感覚
これから「天命反転住宅」に足を踏み入れていくわけですが、その前に一つ。
実際に現地を訪ねてみようと思っている方は、ここから先を読まずに真っさらな気持ちでお出掛けください。
帰ってきて、いったいあれは何だったのだろう?と首をかしげることがあったなら、ここで一緒にあれこれと考えましょう。「天命反転住宅」を訪れるのに予習は不要です。
では、出発しましょう。
「天命反転住宅」の室内へは、支配人の松田剛佳さんが案内してくださいます。
ドアの前に立つと、インターホンが斜めに取り付けられていることにびっくり。
まずは軽いジャブ……ということでしょうか。
ドアを開けると、同行した編集スタッフたちから「うわあ……」と歓声が漏れます。
目の前に広がるのは色、色、色。天井、壁、柱、窓の桟、全てが色とりどりに塗られています。
部屋の中央の一段下がった位置にはキッチンがあり、でこぼこと波打つ床がそれをぐるりと囲んでいます。その床の周りにはドアも何もない部屋が4つ、まるで独立した建物をくっつけたような形で配されています。
部屋の広さは約60㎡。玄関から見渡せる眺めが、この部屋の全てです。ドアや廊下、収納といった“普通”の住宅にあるものが、ここにはほとんどありません。
松田さんによると、この建物の内外装に使われている色は全部で14色。どこにいても、一度に6色以上が目に入るように塗り分けられているのだとか。こんなにカラフルな部屋に住んでいたら、疲れてしまうのでは?と心配になりますが、人間の視覚は6色以上の色を同時に見ると、一色一色を認識せずに一つのまとまりとして把握するので、うるさく感じないのだそう。なぜなら、6色以上の色があるというのは、自然界の状態に近いからだそうです。
たしかに、太陽が輝き、水面に反射し、色とりどりの花が咲き、鳥やちょうが飛び……という風景には色があふれています。そして、そこに身を置くとき、人は周囲を見渡して色の数を数えるようなことはしません。私たちが幼い頃に見ていた世界、つまり小さな草花や昆虫で満ちていた世界は、このような色で構成されていたのではないでしょうか。だから最初にこの建物を見たときに、どこか懐かしいような気がしたのかもしれません。
眠っていた記憶が、ずるずると引き出されてくるような気がします。
色に次いで驚かされるのは、リビング部分の床と天井が傾いていること。
床が下がっている部分は天井が高く、そこに立てば部屋を広く感じられます。床が上がっている部分は天井が低く、そこに立てば逆に部屋を狭く感じます。
ここに住む方が、「子どもを怒るときには、つい床が高い方に立ってしまう。そして怒られる子どもは、はしごをよじ登ってさらに高いところに行ってしまう」と話していたのだとか。これは生き物の本能なのでしょうか。フラットな場所で暮らしていたら、このような動き方をすることはないような気がします。高低差のある場所で暮らしていることで、身体が、行動が、いつの間にか変わっていく。ここは、人の身体からそのような変化を引き出す場なのでしょうか。
この建物の性質が、少しずつ見えてきたような気がします。
Reversible Destiny Lofts Mitaka – In Memory of Helen Keller, created in 2005 by Arakawa and Madeline Gins, © 2005 Estate of Madeline Gins.
参考
三鷹天命反転住宅パンフレット(荒川修作+マドリン・ギンズ東京事務所 発行)
『荒川修作の軌跡と奇跡』(塚原史著、NTT出版、2009年)
映画『死なない子供、荒川修作』(監督:山岡信貴、制作:リタピクチャル、2010年)
公開日:2017年09月05日
この記事はいかがでしたか?
感想を教えてください。
棚澤明子
フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。