朝倉彫塑館(あさくらちょうそかん)を歩く(素心の間~蘭の間)
※トップ画像は、朝倉文夫(1883~1964)
古き良き東京下町の面影を残す谷中、根津、千駄木。
懐かしい風景にほっと心がほぐれたり、新たな発見にぐいぐい引きつけられたり、歩けば歩くほどその魅力に深くはまり込んでしまうこの界隈の散歩コースは、その頭文字を取って「谷根千」と呼ばれ、老若男女を問わず人気です。
その中でも圧倒的な存在感を放っているのが、谷中にある朝倉彫塑館。
日本を代表する彫刻家・朝倉文夫が設計から手掛け、29年間暮らしたアトリエ兼住居です。
形式に縛られることなく独自の美意識で作り上げられたこの建築は、細部に至るまでが朝倉流。
この自由気ままな朝倉流を、ご本人は“アサクリック”と呼んでいたのだそう。
随所にちりばめられた“アサクリック”を観察していると、いつの間にか猫を抱いた丸眼鏡の朝倉文夫がそばにいるような錯覚に陥ってしまう……不思議な魅力に満ちた邸宅です。
“アサクリック”が意味するものは
磨き上げられた階段を上がったところは「素心の間」。
ここから見下ろす庭は、また違った表情を見せてくれます。
先ほど通り抜けたコンクリート造と木造のつなぎ目もよく見えました。
コンクリート造のアトリエ棟に渡ると、3階には朝倉彫塑館の中で最も格式の高い部屋である「朝陽(ちょうよう)の間」があります。
文字通り、朝日のあふれる東側に大きな窓をとったこの部屋は、大勢の来客をもてなす場として使われていたのだそう。
赤みを帯びた輝きを放つ壁は、細かく砕いた瑪瑙(めのう)を塗った瑪瑙壁。
瑪瑙は非常に高価なもので、壁だけを見てもどれだけ贅を尽くした部屋なのかが分かります。
天井は、伊豆天城山の地中から掘り出されたと伝わる神代杉に、杉皮の裏張りを施したもの。
障子の腰板の部分にも、神代杉が用いられています。その下地には、金泥が塗られているように見えます。
美しい曲線を描く廊下側の壁は、貝を砕いた貝壁。
室内の赤い瑪瑙壁とは対照的に、白く輝いています。
「朝陽の間」の前の廊下から見下ろすと、庭の表情はまたがらりと変わります。
歴史を感じさせる瓦屋根や外壁の板張りの美しさは、ここから眺めるのが一番かもしれません。
遠くには、朝倉本人が見ることのなかったスカイツリーの姿が望めました。
次は、屋上へ。
朝倉彫塑塾では、必修科目としてここで園芸実習が行われていました。
優れた彫刻家には、自然と親しみ、土や植物に触れて感覚を研ぎ澄ます経験が欠かせないという、朝倉の信念から生まれた授業でした。
当時はトマトやカブ、大根などを育てていましたが、現在は四季折々の花が来場者を楽しませてくれます。
屋上の西端では、先ほど下から見上げた「砲丸」の少年の背中が手の届きそうなところに見えています。
少年が見つめる先には、朝倉が生きた時代の空気を残す谷中の町が広がっていました。
屋上を下りて、さらに階段を下ると蘭の間です。
朝倉は、『東洋蘭の作り方』という書籍を執筆するほど、東洋蘭の栽培に夢中でした。
この部屋は、もともと東洋蘭を育てるための温室だったといいます。
現在は、東洋蘭同様に朝倉をとりこにした猫たちがあふれ、すっかり「猫の間」となっています。
朝倉は晩年に至るまで、何十体もの猫を制作しました。
1964年の東京オリンピックに合わせて100体の猫作品を展示する「猫百態」を企画しましたが、病魔には勝てず、実現に至らなかったそうです。
ところで。
ここまで“アサクリック”という言葉を何度も見聞きしてきて、最後の最後にふと立ち止まりました。
“アサクリック”とはいったい「朝倉」と何を足した造語なのでしょう?
「朝倉+テクニック」だと考えられています。
正確にいえば、常識では考えられない方法でさまざまな要素を組み合わせて新しいものを生み出す独自の技術を、朝倉は “アサクリック”と呼んだのだそうです。
コンクリート造と木造を合わせるというアイデアは、その最たるものでしょう。
必要不可欠な機能と、独自の美意識と、厳しい現実。
この3つの要素の折り合いをつけるには、随所で相当な苦労があったに違いありません。
そこを切り抜け、条件を満たすだけでなく、芸術的な域へと高めたのが、自由気ままな発想から生まれる“アサクリック“だったのです。
朝倉彫塑館が単なる住居ではなく、貴重な芸術作品であるゆえんがここにあるような気がしました。
参考
『私の履歴書 文化人6』(日本経済新聞社)
『未定稿 我家吾家物譚』朝倉文夫著(台東区立朝倉彫塑館)
『朝倉文夫文集 彫塑余滴』朝倉文夫著(台東区立朝倉彫塑館)
『朝倉彫塑館ミニガイド』(台東区立朝倉彫塑館)
取材協力:台東区立朝倉彫塑館
所在地:東京都台東区谷中7-18-10
開館時間:9:30~16:30(入館は16:00まで)
入館料:一般500円、小・中・高校生250円
※毎週土曜日は台東区在住・在学の小・中学生とその引率者の入館料無料
休館日:月・木曜日(祝日と重なる場合は翌日)、年末年始、展示替え期間等
※入館時には靴下着用のこと
公開日:2018年10月25日
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棚澤明子
フランス語翻訳者を経てフリーライターに。ライフスタイルや食、スポーツに関する取材・インタビューなどを中心に、編集・執筆を手がける。“親子で鉄道を楽しもう”というテーマで『子鉄&ママ鉄の電車お出かけガイド』(2011年・枻出版社)、『子鉄&ママ鉄の電車を見よう!電車に乗ろう!』(2016年・プレジデント社)などを出版。TVやラジオ、トークショーに多数出演。ライフワーク的な仕事として、東日本大震災で被災した母親たちの声をまとめた『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(2016年・彩流社)を出版。